自分語り入ります。

昨日の少クラで。MC席でぐだぐだトークを繰り広げて事故る風磨くんを見ながら、はっしーごめんね、うちの子がごめんね、と、思ってしまって。

ああ、私は、はっしーには降りられなかったんだなあ。そして、セクゾには降りてしまったんだなあ、と、完全に自覚しました。

だって、私にとっての風磨くんって、顔を覚えた時から今にいたるまで、健人くんのシンメだったり、北斗くんの兄貴分だったりするだけの子で、個人的に推してきた子ではないのです。それなのに、無意識の内に、私にとってはもう「うちの子」なんですよ。ずーっと未来の自担として愛でてきたはっしーより、身内感覚になってる。そんなつもりはなかったのに、いつの間にか、私はセクゾを箱推ししちゃってる。

私は、シンメ厨でグループ担でユニ担の箱推し体質。色んな子を好きになる節操のないビッチですが、その子の所属するくくりを丸ごと推せないと、降りるってところまではいかない。びーあいにしろセクゾにしろ、活動が不安定すぎ、将来が心配すぎて、健人くんは推せるけど、箱は推せないから降りられないと思ってきました。勇気がないというか。好きになりすぎて傷つくのが恐い、みたいな(爆)。

今だってセクゾは、安心して丸ごと推せるグループではありません。でも、そんな恐怖などものともしない勢いで、私はどうやらセクゾが好きらしい。

そして私は、ずっとはっしーを推してきたけど、えびには降りられなかった。えびは好きですよ。嫌いになれるわけない人たちです。安心して丸ごと推せるグループです。これからも応援します。でも私に、橋本担やえび担になる未来は、もう来ないんだなあ。長いこと好意的に見過ぎたせいで、降りる勢いの出ないまま、未来の自担ってところで終わってしまったみたい。いわゆる長すぎた春ってやつですよね・・・。

未来の自担ってやつは、永遠に降りる事はないからこそ、裏切られる事も、深く傷つけられることもなく、永遠に愛せる存在であって、それはそれで、私にとっては大事な存在。彼らを思う気持ちこそ、アイドルを愛でる気持ちとしては、正しくて健やかで、普通である気がする。金も時間も愛情も、常識の範囲内にとどめる事ができる。自担を愛でる気持ちって、やっぱりちょっと病的で、変態だったりするもの(笑)。ま、なんだろう、恋の病的な(爆)、ね(爆)。

私はジャニっこに恋しちゃうタイプではなくて、どちらかと言うと成長見守り型のバーチャルオカン系ヲタクです。それでも、「降りる」とか「担当」とかいう事を考える時、恋愛感情と同じくらい、ままならないものだな、と思います。自分の思い通りにはならないものだな、と。

嵐担だったらメンバーの人数にドキドキしなくていいのに、私はカツン担。えび担だったら衣裳格差に泣かなくていいのに、私はセクゾ担。ジュニア界隈では関ジュがデビューに向けて推されているというのに、私は、解体されたらしい北ジェ推し。本当に、ヲタク心とはままならない。